考えることが好き

 社会人になって、色々なことを考えるようになった。お金のこと、自分のこと、仕事のこと、生きるってなんだろう、家族って、兄弟ってなんだろう。友達ってなんだろう。彼氏ってなんだろう。子供ってなんだろう。趣味ってなんだろう。多種多様なことを、とりとめもなくただひたすら考えていたよ。

 考えた末の今の結論。「世界はすべて自分の考え方、見方で出来ているんだな」って。ある事象が起こったときに、それを嬉しいと感じるか、つまらないと感じるか。はたまた、現実をそのまま認識できずに、穿って見たり、偏見で凝り固まった視点で見たり。自分がどう見て、どう考えるかですべて決まっているんだな。例えば、現代の暮らしに関して。「少子高齢化で、未来は暗いし、税金は高いし、混沌として苦しい」と常に不平不満を言う人もいる。

でも、私は現代も捨てたもんじゃないなって思っている。なぜなら、日本がこの先危ういからこそどうしたらいいか、試行錯誤して行動しようと意欲が湧いてくる。「英語を学んで海外に行こうか?会社で死ぬまで安泰の時代ではないから、自分で何か稼ぐ手段を見つけてもっと違う生き方はできないか?」ってね。どちらも、一昔前の時代では、受け入れられない考え方だったと思う。

今の時代でも実践出来ている人は少ないかもしれないけれど、突飛な考え方ではなくなっている。こんな感じで、何も考えずにも周囲に従って日々を頑張っていたら、上がっていく時代ではないからこそ、考えて挑戦ができる。それって、すごく面白いじゃん。何より、こういう挑戦を女性がしても全然おかしくない時代ってのもまた更に素晴らしいよね。

 例えが長くなってしまったかな。他にも私はあることを常に思っているんだよね。
「この世界は、あるとても大切で、偉大で重要な誰かがいなくなってしまった世界なのかもしれない。」ってね。

もしかしたら、とても大事なあの人がいたはずなのに、自分の記憶からも、他の誰の記憶からもなくなってしまっている。だから、誰もそれを覚えてもいないし、自覚なんてできない。

「あの人がいた世界は、あの人が中心となってすごいとてもより良い世界だったかもしれない。でも、今の世界にあの人はいない。あの人は、だれよりも重要で大切な人で、誰もがあの人がいなくなったら、世界は回らない。世界が壊れてしまう。そうおもっていた存在だったのに。でも、どうだろうか。この世界はなんだかんだいって、回っているじゃないか。あの人はいないのに。」

こんな感じで、どんな人でもいてもいなくても無慈悲なことに世界はなんにも変わらない。だから、自分もいてもいなくても、どうでもいいんだ。これも、物事の捉え方の一つだよね。どうせ、いてもいなくても同じなら、だれかの役に立って、この世界の何かプラスになって生きていきたいなって、または、自分のみえる人生を楽しく面白く、幸せに過ごしたいなって思うよ。